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リジョイス聖書日課

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

Podcast · By RCJメディアミニストリー · Japanese (Japan) · Official site

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Oct 1, 2026
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Jul 4, 2026

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  1. Episode · Oct 1, 2026

    試練を経て精錬された神の民へ(ゼカリヤ書 13章) (opens the original)

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    その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。 (ゼカリヤ書13章1節) 13章は、「罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる」という約束から始まります。これから語られる清めの御業は、すべてこの泉から流れ出ます。 まず、数々の偶像の名が取り除かれ、偽預言者たちも汚れた霊も、この地から追い払われます。神は、この地上世界の腐敗を完全に清められます。 さらに神は、わたしの「羊飼いを撃て」と言われ、羊の群れは散らされます(7節)。この御言葉を、主イエスはゲツセマネの夜、ご自身の受難と弟子たちの離散として引用しておられます(マタ26章31節)。 続いて、この地のすべてで「三分の二は死に絶え、三分の一が残る」と語られます(ゼカ13章8節)。これは、契約の民に下る裁きと、そこから残される者を示します。残された三分の一は、なお火の精錬を通されます(9節)。けれどもそれは罰ではありません。火を通った民が御名を呼び、神に「彼こそわたしの民」と呼ばれ、自らも「主こそわたしの神」と告白します。この精錬を経て、まことの神の民が確かにされていくのです。 この精錬は、神の民とな

  2. Episode · Sep 30, 2026

    自らが刺し貫いた者を見つめ嘆き悲しむ(ゼカリヤ書 12章) (opens the original)

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    彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。 (ゼカリヤ書12章10節) ゼカリヤ書は終末論的な預言書です。救い主の到来と神に敵対する勢力の打倒が強調され、終末には、神による支配が完全に実現すると述べています。 この12章では、「その日」が艱難の時であることを示唆しています。また、「エルサレム」を終末論的に「主を信じる民」、またはその群れである「教会」と解釈できます。 「その日」には、地上のあらゆる国がエルサレムに立ち向います。しかし、「その日」には、神はエルサレムのすべての住民の盾となってくださり、「その日」には、神自らが打って出て、敵対する諸国を撃たれます。神は私たちキリスト者に、試練をも与えられます。しかし、教会に敵対する存在から、また苦難から守ってくださいます。さらに、敵対する存在を打ち滅ぼし、苦難を乗り越えさせてくださいます。 神は終末に至るまで私たちと教会を救い、守ってくださいます。それは私たちの罪のために犠牲となったイエス・キリストが十字架上で流された貴い血のゆえにです。私たちは自らの罪によって「刺し貫いた者

  3. Episode · Sep 29, 2026

    六十周年宣言途上にある希望の共同体(ヨハネの黙示録 7章9-17節) (opens the original)

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    「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、 誉れ、力、威力が、 世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」 (ヨハネの黙示録7章12節) 「終末の希望についての宣言」として告白された「六十周年記念宣言」は、「わたしたちは、栄光の神の国への途上にある希望の共同体である」という一句をその基調としています。 「キリストによって現された神の国はすでに今恵みの王国として実現しています」。同時に、いまだ「なお未完成です」。神の国の完成は、栄光の主の再臨にかかっているからです。教会は「大いなる期待と喜びをもって主の再臨を待ち望みます」。 教会が、「期待」を抱くのは、「全世界の教会と共に、また天上の群れと一つになって神を礼拝」しているからです。天上の祝福を先取りして味わっているからです。教会が「喜び」を抱くのは、主が再臨される「審判の日」が、「主を待ち望むわたしたちにとっては大いなる慰めと希望の日」だからです。「救い主キリストは、わたしたちのためにすでに神の裁きに自らを差し出し、すべての呪いをわたしたちから取り去ってくださ」いました。その日に、待ち望む者が見るのは、「天地創造の前から用意されて

  4. Episode · Sep 28, 2026

    神の言葉その価値を知る知恵を(ゼカリヤ書 11章) (opens the original)

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    「もし、お前たちの目に良しとするなら、わたしに賃金を支払え。…」 彼らは銀三十シェケルを量り、わたしに賃金としてくれた。 (ゼカリヤ書11章12節) 驚くほどに奇妙なのは、神の言葉が軽んじられたことです。聖書も知らず、約束にあずかることもなく歩んだ人びとにおいてではありません。神が語りかけ、神が御業をもって養い導いた民において、神の言葉の価値がふさわしく認められることがありませんでした。神は、預言者をとおして問います。自分なりに見て判断し、その価値を見積もって「わたしに賃金を支払え」。 払われた賃金は銀三十シェケルでした。これは、労働の対価でさえありません。奴隷への対価です(出21章32節)。まずは、預言者への価値判断でしたが、それは主とその言葉への価値判断でした。主は預言者に言われました。「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を」(ゼカ11章13節)。 恐ろしい価値判断です。しかし、誰が神とその言葉の価値を正しく判断できるでしょうか。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。主イエスにも、同じ対価が支払われました(ヨハ1章14節、マタ27章9節)

  5. Episode · Sep 27, 2026

    悔い改めて考え直す勇気を(マタイによる福音書 21章23-32節) (opens the original)

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    「兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。」 (マタイによる福音書21章29節) 信仰とは、立派な言葉を並べることではなく、神の御前に立ち帰る歩みそのものです。祭司長や長老たちは、神殿の権威を守ることに腐心し、悔い改めを求める洗礼者ヨハネを拒み、ここでは主イエスを受け入れませんでした。彼らは口では神に従うふりをしながら、心は自己保身に囚われていたのです。 主イエスが語られた二人の息子のたとえでは、最初は「いやです」と言って拒絶した兄が、あとで「考え直して」父の願いに従いました。そのように、かつて過ちや反抗があったとしても、神はいつでも私たちが立ち帰るのを待っておられます。社会から疎まれていた徴税人や娼婦たちが先に神の国に入ると言われるのは、彼らが自らの不信仰を認め、素直に心を入れ替えたからです。 私たちも、日々の生活の中で神に立ち帰るための祈りを大切にしましょう。主が求めておられるのは、体裁を整えることではなく、自分の弱さに気づき、主の愛に信頼して一歩を踏み出す勇気です。悔い改めとは惨めな後悔ではありません。主の招きに応えて、喜びをもって新しく生き直すという希望の決断です。

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